ジョイントさんで知った定期借地、定期借家
宮里 廣様
軽便鉄道
宜野湾市の南に位置する『宇地泊』。牧港川に面した土地は田芋畑で有名だが、戦前は水田も在ったと言う。この宇地泊で生まれ、戦中は今帰仁に疎開していた 宮里廣さんにお話を伺った。「戦争までは軽便鉄道が大謝名三叉路を通っていました。当時は橋があり、上を車が下を線路が通っていました。子供の頃はよく線 路際で遊んだものでした。」
戦後の宇地泊
宮里さんは、戦争が終わって今帰仁から宜野湾の野嵩の収容所から、その後大山を経て宇地泊に戻ってこられた。その頃、第一土地区画整理地域となったガジュマル公園のあたりは米軍に接収され、最初は住宅として、その後特別警備隊が使っていたという。 宮里さんのお話しは続く「第1土地区画整理事業が終わって道路沿いは人が住み始めましたしお店も出来ましたが、私が住んでいる大謝名三叉路そばの一帯は戦後に建てた住宅が密集して迷路のようになっていました。」
土地活用の選択
平成8年に第2土地区画整理事業が始まり、都市機能用地のそばに換地を受けた宮里さんは、この土地の利用方法に頭を悩ませていたという。数々の業者がやってきてアパート建設や売却の話しがあったのだ。 「ジョイントさんから提案を受けたときに、土地を手放すこと無しに、有効な利用が出来ることを知り、じっくり話を聞きました。最終的には、ジョイントさんには、2箇所の土地を、定期借地のやり方と定期借家のやり方の2通りで土地を活用してもらいました。税金面では借地のほうが良いように感じます」宮里さん は戦中、戦後の苦労を経て、落ち着いた様子で語られる。区画整理事業もあと一息。
あとは、実家の建て替えを待つばかりである。
宮里廣様 2019年6月21日没
宮里廣さんはいつも笑顔で宇地泊区画整理事業当初から大変お世話になりました。
廣さんとの出会いから地域に愛される病院や店舗も誕生しました。好きなことを聞かれて仕事だと答えたら笑われました。『好きなことをやって生きるんだよ』視野を広げてくれました。心から感謝申し上げますとともにこれからも地域の為、ご家族初め大切な関係者のお役に立てるよう全力で尽力して参ります。
比嘉忠男、ジョイントスタッフ一同。